ラビラビラビット

独り言と創作物紹介

思いつき上等。

やりたいことがない時、皆さんはどのように時間を潰していますか。

何もしていなくても時間は進んでいくの許せないと思いませんか。

 

私は許せないです。

 

今、何もしていないのだから細胞分裂も止まってくれよ。

といつもではないけど思います。

 

正確にいうと、今初めて思いました。

 

私には持病がある。というのは何個か前のブログで書いたんですが、この持病が活動期に入るとどうしても生活に縛りが出ます。

できていたことができなくなる。

自分は満足に体を動かせない状態なのに、周りは成長のチャンスを掴んでいると思うと正直やりきれない。

 

挑戦したいことがあってもできないことが悔しいし、悲しいです。

 

でも、挑戦したいことがあるなら今の自分ができることから始めればいいんだって最近気づいたんですよね。

同時に、病気じゃない時に挑戦していなかったことにも気づきました。

 

私は、小説とか物語を書けるようになってみたいとと思っていましたが、仕事の忙しさなどを言い訳にして日々を惰性で過ごしていたように思います。

 

口だけで、小説を実際に書いてみたりしてこなかったのです。

 

全ての人に共通して言えることではないかもしれませんが、人間、不自由ない生活を送っているとどこか目的を失いがちになるのではないかと思いました。

 

自分の可能性を広げるために行動することをやめてしまうというか。

 

向上心のあった人も現実に飲まれてしまう。

 

残業で疲れ切った体は週休だけでは癒せず、趣味に回せる体力がどんどん奪われていくというイメージです。

 

要領のいい方ならそんなことにはならないのでしょうが、日本社会の形を見ているとそんな要領のいい人たちはたくさん存在していませんよね。

 

マイナンバーの紐付けのニュースからも惰性で仕事した形跡が漏れ出していますもん。

住所確認をしていなかったって、個人情報を取り扱うのが目的なのに意味がわからないと思いませんか。

 

と考えを飛躍させてしまうのは私の悪いところなんですが、要は病気が悪化するには理由があると思うことにしたという話です。

 

やらないままではいけないよ。

 

と、体が不調になることで私が焦って動き出すように仕向けられているのかもしれない。

 

そう思うことにしました。

 

よく、「神様は乗り越えられる人にしか試練を与えない」という言葉を聞きます。

これは、つまりはそういう考え方に自分を酔わせられれば勝ちだということではないでしょうか。

自分は選ばれたのだから頑張れる、乗り越えられるぞと言い聞かせて実際に行動に移せた人にだけもたらされる何かを信じられればいいのです。

 

結果が望み通りじゃなかったとしても、通ってきた道は経験として確実に自分を構成する味になるわけですから、無駄なことはないでしょう。

よっぽど、何かの罪を犯して勾留されるとかじゃない限りは。

 

ということで私はこの身体中痛みだらけの不自由な生活を生かしてこれからも、現実に焦ることのないよう言葉を発信していこうと思います。

 

もう貯金は底をつきそうなんですけどね。